Þe Hƿmanitī

The world began without knowledge, and without knowledge will it end.

自殺未遂、2019年9月13日、1回目


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*この記事は自殺を推奨・幇助するいかなるものでもありません。

 

前置き

自殺未遂をした。恋人にフラれて、あまりのショックから喚き散らし、旅先の福岡で突発的に死ぬことを考え始めて、夜に自殺を図った。服薬中に死ぬ気が薄くなり、致死量に達する前に服薬を止めて未遂になった。

ご存じの通り、自殺未遂というのはとてもありふれた話である。今更語らずとも、ツイッターやブログを見ればいつも誰かがどこかでやっている。では、今回の自分の自殺未遂には何か特筆すべき不幸や事件があったのかというと、何もない。ありふれた辛さに遭い、ありふれた心の動きをして、ありふれた自殺方法をとった。今自分がこの話を頑張って書いたところで、もっと上手な文章を書くことができ、かつもっと面白い経緯で自殺未遂をした人間が過去にはいくらでもいただろうから、人に何かのエンターテイメントを提供するという意味において全く価値はない。

じゃあなんで書くのか、というと、分からない。長文を書くことで何かその日に意味を持たせたかったのかもしれない。気持ちを整理したいのかもしれない。このブログを書くことで、フォロワーからいいねがほしいというのもあったかもしれない(や、それは実際かなりあるはずだ)。でも、定まった1つの理由はない。

 

元はと言えば、こんな風にグダグダと前置きを続けて、いつまでも本題に入れないような、意思が脆弱で前に突き進む力の無いところだ。そのくせして内省だけがやたら上手で、しかし、それをフィードバックして自分を良くする努力を行う力がないところ。そういった気力なく燻り続ける、燃えカスのような精神性が貫徹していて、あたかも自分のアイデンティティーのようにもなりつつあることが本当に嫌だった。嫌で、死にたかった。

身体は魂の監獄である、ということに気づいた(知った)のはだいぶ昔の話だが、その解放されるべき魂までもが取るに足りないということは、最近気づき始めたことである。

 

どうせ自殺の手段や客観的な経過を語っても、メンヘラの自殺未遂の過程に何一つ面白いことはないので割愛して、気持ちの変化だけを書こうと思う。恋人にフラれてその度に死ぬ死ぬ言っているメンヘラの感動的な語りは自分でも見飽きたし、見飽きた文章は書きたくない。まさかそこまで陳腐なパーソナリティーが、自分にも宿っているとは夢にも思ってもいなかったが。

 

 

心情

今まで自殺しようと考えたことは数万回とあったし、雑な未遂も5回はあったが、今回ほど強い気持ちで生死の境界を越えようと思ったことはなかった。それだけに今回初めて知ることになったのだが、自殺を決めた時の高揚感と緊張感はとてつもないものだった。

自分は情動の動きが少ない人間なので、胸が高鳴るとき、胸が熱くなるとき、といえば運動したときと薬物を摂取しすぎたときぐらいである。そんな人間にとって、自殺をしようと思考しただけで動悸が起きて、武者震いを起こし、同時に恐怖から冷や汗が吹き出るという経験は、それだけである意味の「喜び」だった。死を眼前に意識することはこんなに「喜ばしい」のかと、全身を興奮でブルブル震わせながらも驚いたことを覚えている。

 

意思をある程度固めた後、いざ致死量の薬物をドラッグストアで買い集めているときの気持ちは本当にごちゃごちゃとしていて、暗澹としていた。やはり死ぬのは怖い。引き返してもまあ人生はそこそこ開けているだろうし、楽しいことも苦しいこともそれなりにあるだろう。特に将来の見え方は歪んでおらず、自我の一部はずっと冷静に「別に死ななくてもいいじゃんね」と普通の答えを返していた。

でも、理性的に考えてこの先の展開を推測して、ここはこうしたほうがいいね、とか、俯瞰的に客観的に、求めてもいないのに勝手に自我がそんな合理的選択を選んでくるとかそういうのが、もう面倒くさくて仕方なかった。論どうこうでもないし、欲望からしてももちろん死にたくない。関係ない。おれは早く死にたい。おれは早く死にたい。ずっと、意思してもいない言葉を呟いて、それが自分を支配することを願っていた。

そのおかげか、欲しくもないし高くて買いたくもない致死量の薬物を、動きたがらない足を動かして、無事買い切ることができた。

 

21時ごろ福岡の繁華街のど真ん中にある公園に来たとき、そこには金曜夜の賑やかな群衆と風景があって、ここなら、苦しんだ末のバカみてえな死体がSNSでめちゃくちゃに共有されてめちゃくちゃにバカにされて、尊厳もクソもなく無意味に死ぬことができそうだと思った。さっそく勢いをつけてバカになるためにある程度服薬した。至極冷静だったので、引き返そうと思ったときのために後々脳機能に後遺症の出ない程度を考えて服薬した。

ツイッターでいろんな人からやめてと言われた。思ったより自分が他者に可視化されていることに驚いた。自分が承認されているという素朴な事実を意外にも確認してしまい、正直味を占めてしまいそうになった。またひとつ死にたくなくなったが、そのことが悔しくてもっと薬を飲んだ。それでもまだ致死量の1/3にも到達していなかったが。

 

致死量の半分に達するまでの薬を出し、飲み干そうとしたら、手が震えて喉に拒否された。恐れはもうほとんど諦めに近づいていた。ここでもやはり冷静だったので、自分の意思の脆弱さを まあこれでもよくやった方だよ と労ったりしていた。

その後、フラれた恋人から、人を通じて後日話し合おうと言われたのが決定打になって完全に気持ちがデフォルトになった。意思が急速にゼロに向かってしまい、どうせそうだろうとは分かっていたが、あまりにも虚しくて泣きたかった。しかし、情動が全然動かないので何も出てこなかった。無言でスマホを弄っていた。少し経つと、職質されないように無言でネカフェに向かった。道中、ラインで次の飲み会の計画を立てていた。早く死にたかった。

 

どうせ、これからも何回も自殺を意思するだろうが、どうせ何回でも心折れることが見え透いている。ブログに書いてみて改めて分かる初志の軽薄さ。腐った魂は自らを消し去る程度の潔さももつことが出来ない。十中八九、自分はこれからまあまあ楽しい人生を送って、何回も何回も死にたくなって、寿命が近づいたら生に縋りついて死ぬまで泣き喚くだろう。これはこれで、無様でいいものだ。

DMTのトリップ体験について、2017年2月、2回目後編

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前編の記事はこちら↓

sensesthetique.hatenablog.com

 

 ※このブログはフィクションであり、筆者、またはその他の人物の経験に基づくものではありません。違法薬物の摂取や市販薬・処方薬のオーバードーズは人体に甚大な影響をもたらします。当ブログは、閲覧した人物に対しいかなる薬物の摂取も推奨するものではなく、薬物の身体への影響を架空の人物の視点から語ることで、薬物の恐ろしさを啓発しようという意図のもと投稿されています。

 

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 その後、詳細はほとんど覚えていないが、かなりたくさんのものを幻覚した。情報量があまりにも多すぎて逆にひとつひとつの幻覚をほぼ記憶できていないため、もしかするとたくさんの幻覚を経た気になっただけかもしれない。本当のところは分からない。

ただ、ほんの少しは具体的に残っている記憶もあり、とりわけ、宇宙のすべてが記録されている(と勝手に思っていた)、縦にも横にもどこまで続いているのか分からないほど巨大な灰色の壁を、ふわふわと浮遊しながら見て回っていたことだけは鮮明に覚えている。

壁には無数の引き出しがついていて、その中に宇宙で起きた事象について記録している媒体が入っていた。今考えると、あれはスピリチュアルにはまった人がアカシックレコードと呼ぶものだった。

 

 話を元に戻そう。前述したように、様々なものを経験した、もしくは経験した気になったあとにふと気がつくと、自分はいつの間にかまっさらで静かな空間にいて、横にいる何者かと会話を交わしていた。

その何者かは、青く発光し、女性的な声を用いて自分と話している。どうやら幻覚体験で憔悴しきっている僕のことを励ましてくれている。後から考えると、ファンタジー世界に出てくる精霊のようである。その精霊みたいなものが放っている穏やかで涼しげな風が気持ちいい。

 そして、思い出したように身体の感覚を確認してみると、久しぶりにまともな反応が得られた。身体を横たえていて、目を瞑っていること、脱力した四肢が胴体にくっついていることが分かる。

少し経って、ゆっくり目を明くと、なにやら梵字のような未知の文字がゆらゆらと流れているし、視界が少し黄色がかっているものの、そこには紛れもなく懐かしい現実があった。

目の前の茶色いローデスク、いつの間にかスリープ状態に入っているPCのディスプレイ、座っているクッションの柔らかな感覚。現実の全てが尊いものに感じられた。横を向くと、少し遠くの棚の上から垂れ下がっている、キーホルダーの「イルカのイルカくん」と目が合い、ウインクしてくれた。多分戻ってきたことを祝ってくれているんだろう。

(余談だが、ここで気づいたことに、さっき精霊から発されていたと思っていた涼しげな風は、トリップ前につけておいたエアコンから吹いてきたものだった。近代科学万歳)

 

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 現実に戻ってきてからは、しばらくさっきまでの幻覚体験に圧倒されて、放心状態でボーッと着ている服の模様を見ていた。

ヘッドホンから聴き覚えのあるエレクトロニカが流れてきている。いつもなら心地いい旋律や展開が、今は恐ろしい瑞々しさに装飾され、自分の精神に容易に作用していた。

するどい針の先で辛うじて現実性を保っている自分は、脳内で響きわたる音楽の展開が移り変わるたびにぐらぐらと揺れ、今すぐにでも転げ落ちて無限の幻覚の中に抱かれそうになっている。

 エレクトロニカの音がこわくて仕方ないので恐る恐るヘッドホンを外した。すると、生暖かい現実の音が聞こえてくる。家族2人が隣の部屋で何か話しているようだ。話の内容はかけらも分からない。

自分も会話の輪に混ざりたいと思ったが、少しでも動けば、もしくは口を動かせば今の平穏は霞のように消えていくという確信があったので、それはできなかった。ひとりのまま、じっと耐えることしかできない。

そうだ、自分はひとりだった。あんなに近くに家族がいるのに、ひとりだ。いや、誰がいくら近くにいても関係はない。自我と生命の恒常性を保つぼくの神経系は、その恐るべき独立性をもって、今も、誰にも僕の苦しさや恐れを共有することなく孤立して、確実に存在していた。

何があっても。

結婚しようが性交しようが、どんなに人のぬくもりを感じる瞬間があろうが、その存在の孤独さには全く関係がない。生命の火は静かに燃えている。

 

 頭の中に真っ白な部屋がある。そこにぽつんとひとつのランプがあり、小さな火が灯っている。先ほどまでは風に激しく揺れ、消え入りそうになっていたが、今は穏やかに形を保って燃焼している。

自分にとってこの火は、幻覚体験の小康状態が今自分に訪れていることと、その儚さを具現化する火であり、また、この火が確かに存在することは、火が絶えないよう、この束の間の現実をできるだけ長く失わないようにと気持ちを保つための、一縷の望みでもある。

 

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 放心するままに体感時間で5分ぐらいが経ったところで、現実に戻ってきて以来鳴りを潜めていた、心の中の淋しさが再びどんどん大きくなってくるのを感じた。

少し前よりも呼吸が難しい。何かに縋りたい。現実にいても自分はひとりだけど、ここは幻覚の中よりもうちょっとは淋しくない。だからもう戻りたくなかった。

幻覚の中はとても冷えている。鉄のようにヒヤッとしていて、入り込んだ生物を死に至らしめる。でも、急速に心を占めていく淋しさに乗じて、その気配は近づいてきていた。

 

もうやめて欲しかった。まだ現実に属していたい。

淋しい。

呼吸が難しいので、呼吸のことばかり考えている。呼吸を意識していなければ、そのうち窒息して死んでしまう。

呼吸をすると、肋骨が大きく開いてそこに黄金色の安らかな流れが入り込んでくる感じがする。

ふと気がつくと世界は真っ暗だった。中心に生命の火が揺れているのが見える。こんなもの見たくない。

淋しい。

幻覚を必死に追いやって現実に戻っても、またふとするとそこに戻っている。幻覚剤の精神作用のせいで、ほんの少しの時間も同じ意思を持ち続けることは許されなかった。

何回も何回も同じ思考の連鎖を繰り返し、淋しさだけが中心を貫くように存在している。

呼吸が難しい。真っ暗な世界の中で、死が近くに存在しているのが見えた。

 

 死にたくないわけではないが、こんなことは耐えられない。我慢できずに、立ち上がって家族のいる部屋へと行き、衝動的にキッチンに立っていた母親に抱きついた。

何年ぶりの感触か分からない。ただ、心が少し暖かくなるのを感じた。

真っ暗な世界が暖かくなる。心臓の鼓動が、暗闇に淡い赤をにじませている。

拍動はいつもよりだいぶ遅くなっていた。このままどんどん脈がゆっくりになって、そのうちに止まって、死ぬんだろうか。

死を意識しても、今の自分には淋しさと感謝の気持ちしかなかった。

よく覚えていないが、自分は何度も母親に向かってありがとうと言っていた気がする。

母親は身を案じつつ、それを受け止めていたような気がする。

暖かい寂寥感が心を支配していた。

動いたことで幻覚剤が身体によりよく回ったのか、それ以上立っていることができなくなり、そのまま床に倒れた。

 

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 遠くで母親の声が聞こえる。向こうが遠ざかっているのではなく、ぼくがどんどん遠くに沈んでいる。

現実に関する感覚がだんだんと減衰する。

床の冷たさも、体を横たえている感じも、数秒が経つうちにほとんどよく分からなくなった。

暗い世界の中、ただ心臓がゆっくりと脈を打っている様子だけが分かる。

もうすぐ終わるんだろうか。

まあ、いつ終わっても仕方ないと思って生きていたし、これも仕方ない。

今までありがとう。心臓の赤さえ小さくなって、次第に闇に飲まれていた。

苦しいけど、こういうものだと思う。終わりは暗くて淋しいけど、暖かい。

走馬灯のようなものが映し出されている。ゴミみたいな17年の生も、こうやって俯瞰してみると案外悪くなかった。

自我が失われていく。もうほとんどが闇に分解されて流れていった。

 

最後のひとかけらになって、さっき考えていたことを思い出そうとしていた。

 

 

 

 

 なんだったかな…

 

 

 

 …

 

 

 

 ……

 

 

 

 ………

 

 

 

 

 ア、呼吸だ…

 

 

 

 思い出したとたん、大きく息を吸った。すると、黄金色の流れが胸腔になだれ込んできて、水面から顔を出した時のように、現実がとてつもないスピードで舞い戻ってきた。足がビリビリしていることも、いつの間にか目をつむっていたことも、母親が真上に存在していることも、手に取るようによく分かる。

息をすると気持ちがいい。自分がこんなに心地いい行為を忘れていたことにびっくりしていた。さっきも同じようにびっくりしていた気がする。

 

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 2回もバッドトリップのどん底まで突き落とされると、だんだんとその経験則から、対策のようなものが生まれはじめてきた。

自我が無くなって幻覚の奥深くに入り込んでいる時は、いつも身体を1ミリを動かさずに、呼吸を忘れ、声を出すこともなく、いつの間にか目をつむって静止していた。つまり、呼吸したり、動き回ったり、声を張り上げたりを定期的に行うよう外から圧力をかけてもらえば、どうにかトリップが終わるまでやり過ごせるはずだろう——という趣旨のものである。

ひとたび考えつくと、またすぐそれを忘れてしまわないうちに、母親へ20秒ごとに呼吸のリマインドをお願いした。

ともすれば、時間の経過でDMTの効力が薄れてきたのも味方し、幻覚世界に少しだけ落ちたり、暗闇が垣間見えることは多々あっても、その都度呼吸をしたりアーと声を出せばすぐに現実に戻ってくることができたので、深く入り込んでしまうことは無くなった。

 

 そのまま2時間ぐらいすると、精神的な影響がほとんど失われて、正常に考えたり感覚したりすることができるようになった。

 

 その2時間の間に自分は、兄弟や母親に対してかなり意味の分からないことを言っていて、たしか、どんな過去の出来事にだって今ならアクセスできる、ソクラテスにもなれる、とか言っていたような気がする。詳細はよく覚えていない。ヤク中がしばしば全能感にあふれてすごいことをしでかすのは、こういう薬の作用があってのことなんだなと後にひとり感心していた。

 

 トリップが終わると、時計は午前3時を指していた。トリップが始まったのが午後12時前だったので、それから3時間以上は経っている。次の日は私大の受験だったのですぐ床に入った。寝つきはとてもよかった。

 

 そして、6時ごろに起床すると、せいぜい3時間強しか眠らなかったにも関わらず、尋常ではない良い目覚めをした。8時間寝てもよろしくない目覚めをすることが多いのに、今日は心が透き通っている。

その明鏡止水のような心持ちは、蛇蝎のごとく嫌っている雨の日の満員電車の中でも変わることがなかった。いざ受験となってもほんの少しも揺らがない。そもそも現実の事象程度のものに心の平穏を乱すほどのものはないと、心の底から考えるようになっていたのである。

入試の休み時間には毎度瞑想をしていた。受験会場にいながら、心は常に涅槃にあるかのようだった。

 

受験は落ちた。

DMTのトリップ体験について、2017年2月、2回目前編

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 前回の記事はこちら↓

sensesthetique.hatenablog.com

 

 ※このブログはフィクションであり、筆者、またはその他の人物の経験に基づくものではありません。違法薬物の摂取や市販薬・処方薬のオーバードーズは人体に甚大な影響をもたらします。当ブログは、閲覧した人物に対しいかなる薬物の摂取も推奨するものではなく、薬物の身体への影響を架空の人物の視点から語ることで、薬物の恐ろしさを啓発しようという意図のもと投稿されています。

 

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 今回のDMT投入は突発的で、なんと某私立大学入試の前日の夜にいきなり思い立ったものだった。

 

 少し当時の背景について話す。2017年2月、17歳の自分は、鬱病でほとんど何も行動をとることができずに、朝に寝て、夕方に起き、Twitterを見ながら虚無を過ごし、することが無くなればやはり寝るだけの生存をしていた。

高校に行っていないばかりか、鬱病をこじらせて対策の勉強を一切していない自分が、どうして大学入試を突破できるだろうか。

刻一刻と迫り、ついに明日となった私大の入試。焦燥感に耐えられない自分に、思いのほか上手くいった前回のDMTトリップが、その時は唯一の解決策に思われた。

 

 焦燥感から幻覚剤に対する慎重さを失っていた自分は、目分量で適当に材料を取り出し、鍋に投げ込んで火にかけた。量を測っていなかったのでよく覚えていないが、前回の用量よりも明らかに多かったと思われる。1回目の2倍以上だっただろうか。

あまつさえ、前回よりも入念に、DMTがよりしっかり抽出されるよう時間をかけて原料を煮込み、「お茶」を作ったのであった。

 

 飲んでみる。まずい。あり得ないくらいにまずい。「お茶」の主材料である植物の根っこの独特の香りが、煮出した直後の「お茶」の暖かさと相まってとにかく不快な瘴気を放っている。

また味覚においては、過剰な量を抽出されてしまったタンニンによる暴力的な渋みが、添加したクエン酸の強烈な酸味と融合して一つの到達点とも言うべき最恐の不協和音を奏でている。17年と10ヶ月の人生に煌々とそびえ立つ金字塔のような、本当にものすごいまずさだった。

なけなしの根性を見せ、やっとのことで「お茶」を飲み終えても、まだキモい臭いとキモい渋みが口内に残っている。トリップを前にして既に気分は最悪だった。

 

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 飲んで1時間半は経っただろうか。服用してから作用するまでにかなり間があるのは前回のことで知っていたが、それでもこう長い時間が経つと「本当に効くのか?」「用量が足りなかったのか?」と不安になり、しかし、だからといって幻覚剤を足すような勇気もないので、ただそわそわとTwitterを眺めながらいずれ来るであろうものを待つ。相変わらず「お茶」のキモい臭いは口内から消えない。

そわそわ感を鎮めるため、昂る気持ちをいつも聴いている音楽で落ち着かせることにした。当時、起きてから寝るまでずっと肌身離さず聴き続け、もはや身体に属しているかのようだった13分強のエレクトロニカに、自分は全幅の信頼を置いていた。

DMTによって世界の捉え方が何もかも未知のモノに解体されても、この音楽さえどこかで感覚していれば、一縷の現実性にかろうじてすがりつくことができる。当時はそう思っていた。

 

 間もなく、DMTが作用し始めた。視界が薄青く染まっている。心臓が高鳴る。これは高揚からか、不安からか、それともDMTを解毒するための生理現象からか。前回の感覚が思い出され、それが再び経験できる喜びに顔がニヤつく。

 

 そうだ、効きだしたことをツイートしよう。ふと思い立ち、目の前のPCに手を伸ばす。すると、何かがおかしいことに気付いた。画面に映るTweetdeckのデザインが、数分前の、作用する以前のものと変わっている。

変わっているというのは、文字や写真などのTweetdeckに表示されている情報そのものが変化しているというわけではない。ウェブページのデザイン、カラムの大きさや文字のフォントだけが、より簡素に、そしてより美的に変化しているのである。

そして驚くべきことに、ディスプレイに映るもの以外の視覚したもの——例えばPCの横のスピーカーや机の模様、ソフビのフィギュア——はなにひとつ見え方の変化をしていない。Tweetdeckのデザインだけが、特異的にプロセスされ、改変され、シンプリファイされているのだ。

 今まで体験したことのない現象を前にして、自分はまず、何が何によって引き起こされているのかを必死に解釈しようと、そのために冷静さを保とうと試みた。しかし、DMTは僕に時間を与えない。淡々と消化器内で吸収され、血中を駆け巡り中枢神経系へと侵入していく。幻覚は次第に現実を侵食する。頭を上げていることが苦痛になり始めた。Tweetdeckのデザインは今や、圧力鍋の中のゆで卵のように、はち切れそうなほどふくらみ、うつくしい。さっき飲んだ「お茶」のせいでまだノドがイガイガしていて、電脳世界のノイズみたいだ。黒と赤の奔流が脳の後ろ側からなだれ込んできた。流れている音楽のリードシンセが、ベースラインが、キックが、全部が僕の怖がるさまを見て笑っている。おちょくるように僕の感覚する世界を弄り回している。

 

 こわい。たすけてほしい。「あちら側」は既にその領域を開けていて、たとえ僕が拒んでも、いずれ黒と赤の奔流が僕の世界の全てになるようだった。

僕は、大脳皮質の前のほうの、ほんの小さな部分の、思考を司ることしかできない、ヒトの機能の、ごく一部に過ぎなかった。DMTに侵されて異常に駆動し始めた中枢神経系のはしため、下女だ。帰りたい。バカなことをした。許してほしい。もう目が開いているのか閉じているのかも分からない。もとに戻りたい。心が涙を流していると、雨が降り始めた。

 

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 僕は外にいた。灰色の茨が好き勝手に地面を這って生えている。空も灰色で、黒い雲のような、もしくはツタのようなものが神妙に蠢いている。モノクロの世界だ。隅で体育座りしてうずくまっている僕に降りしきる雨が、冷たくて重い。

思考能力はいつの間にか消滅していて、僕は世界を感覚するだけの存在になっていた。

ふとすると僕は次の世界にいて、そこではアナログテレビの砂嵐みたいに、白黒が激しく交差する。世界が暴れているようだった。それも、どんどん凶暴になっている。砂嵐がもはや自分自身の世界を破壊せんとする勢いだ。

この激しい幻覚が、僕を襲っている強烈な吐気のせいであることに気づいたのは、しばらくして現実で実際に嘔吐した瞬間だった。嘔吐する一瞬だけ、現実の世界に戻ってきた。いつもの世界が見える。

幸いにも、吐物は出ていないようだ。隣の部屋にいた家族が僕の嘔吐に気づいて、人間の鳴き声をあげて僕に近づいてくる。それに対応して、僕は無意識に、大丈夫、と声を発する。すると次の瞬間、世界が紫色に染まった。視界は現実のままだったが、なぜか家族の姿は消えた。

もうここには誰もいなくて、僕の感覚だけがあるようだ。

 

DMTのトリップ体験について、2016年12月、1回目

はじめに

 ブログ読む前にDMTが何か知らない人はこれ読んで → アヤワスカ - Wikipedia

 

 ※このブログはフィクションであり、筆者、またはその他の人物の経験に基づくものではありません。違法薬物の摂取や市販薬・処方薬のオーバードーズは人体に甚大な影響をもたらします。当ブログは、閲覧した人物に対しいかなる薬物の摂取も推奨するものではなく、薬物の身体への影響を架空の人物の視点から語ることで、薬物の恐ろしさを啓発しようという意図のもと投稿されています。

 

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初めての幻覚剤

 詳細は省くが、2016年当時、ある植物の根のパウダーを煎じ、抗精神病薬と併せて飲むことで、誰でも合法的にDMTを経口摂取することができた。

 幼少の齢よりLSDマジックマッシュルームのような幻覚剤を摂取することを夢見ていた僕は、その当時引きこもってキーボードを叩き続けていたため、様々なインターネット、とりわけ薬物に対しかなりの情強と化していて、当然その情報にもリーチすることができた。ついでに合法DMTを体験したことのある人々のフォーラムを見ると、あまりにも現実離れした経験談の数々が寄せられている。幽体離脱サイケデリックスペース。少年の心にはあまりにも刺激的な言語の羅列。

 鬱病のドン底だったにも関わらず、当時の僕はこれに激しい興奮と抑え切れない衝動を覚え、頻繁に過剰摂取していた風邪薬を投げ捨てて秒で必要物を用意し、17歳の純朴な好奇心とともに幻覚物質入りの植物を煎じた「お茶」を作ったのだった。

 

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 初めてのトリップは本当に美しかった。視界に入る物体一つ一つの解像度がシラフとは明らかに違う。机の上にあった飲みかけの水をペットボトルの中でひっくり返すと、理解できないほど透明な奔流が、1フレームごとに感動的な形状を描いていた。とはいえ重力に逆らいボトルの上部に残ったほんの少しの水滴たちが、こちらを見ながら色収差を生じさせている。DMTを摂取する前に焚いていた、白檀のお香から漂ってくる甘い香りと微かな煙の匂いが脳髄を衝き、視界を黄色く融かしていく。

 ポエムだ、と思った。感覚したものすべてをポエムにして唄いたいほどの強い感動が視界から、嗅覚から、味覚から絶えず喚起され、それに呼応した顔が終始ニヤついていた。上代日本人は事あるごとに感動し歌を詠んだらしいが、まさにそれだった。DMTをキメたら上代日本人になっちゃった。悪くないパンチラインだ。ツイッターで呟けば4いいねぐらいはつくだろう。

 

 目を閉じれば、世界に自分だけしかいないかのように外方向に対しての感覚が閉じ、意識とは別の何か(*)が幻覚それも視覚だけではなく、五感が統合された未知の感覚のようなものをものすごい早さで生み出し、それを自我意識に対してひっきりなしに投げつけてくる。 

*: 幻覚剤をやった人間がよく「神」「絶対者」と呼ぶもの:幻覚を自分の意思とは関係なく操作する何か:おそらく、その正体は中枢神経系の自我意識を生じさせる部分以外の高次機能を司る部分

  そしてその幻覚とは、自分というものの構成素である、僕に関する無数のパラメータが、永遠に振れつづけて規則的な三角波の波形を描き続ける様子だった。おそらく、当時パソコンで楽曲制作をしていて、頻繁に音声波形を目にしていたのが幻覚に反映されたのだろう。その無限とも言える数の波形の浮き沈みは、自分というものが絶えず変化しているという無常の世界観を示唆していた。今でもその世界観への確信は消えていない。

 

 ところで、目を閉じて閉眼の幻覚に身を任せていることには1つだけ難点があり、というのも、呼吸という行為を忘れてしまうことだった。

 シラフであれば、呼吸というものはわざわざ意識的に行わなくとも無意識にうまくいっているものだが、DMTが効いているとそうではなかった、というか、そうではないという強迫観念に執われるのである。

 そして、意識しなければ呼吸を止めてしまうという焦燥は幻覚を蝕む。感情は幻覚の大まかな方向性を決定するので、焦ったり恐怖したりすると幻覚はより強迫的に自我へ迫り、より恐ろしく変化する。それを受けて自分はより恐怖する……という抜け穴のないスパイラルに陥る。世に言うバッドトリップの典型だ。

 ただ、今回はDMTの摂取量があまり多くなかったことが幸いし、幻覚の方向性が大きくバッドに振れることはなかった。これが災いし、DMTに対する自分の”ナメた”態度を形作ってしまい、のちに激しいバッドトリップを経験することになるのだが……。

 

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 以上のように、初めてのDMTはさしたる問題もなく終了した。wiredのような海外の雑多なサイトには、幻覚剤の経験後に鬱が寛解するとか、精神が真っさらになるとかいうすごそうな記事がよく書かれているが、摂取量の少なさも影響しているのか、今回においてそこまでの変化は無かった。

 しかし、上にも書いたように、幻覚によって無常的な世界観が植え付けられた、もしくはそう”洗脳”されたということもあり、思考の基盤となる世界観や価値観が多少なりとも変化させられてしまうというのは事実のようである。そして、その変化がとてつもなく大きかったのは次の2回目のトリップなのだが、それについては次回書く話なので、これを読んでいるオタクくんは指を咥えて僕が次回を書くやる気を出すのを待っていてほしい。

次回はこちら↓

sensesthetique.hatenablog.com

自分語り 3年間のひきこもりニート #1

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序・高校1年生

 小学校を卒業した頃から曖昧に東京への憧れがある少年だったので、中高一貫だった地元の中学をドロップアウトし、高校は東京の港区にある――学校指定の制服がなく私服登校の、またスマホPCゲーム持ち込み可という、いかにも都会そうな――学校を選び、地元を大きく離れて一人暮らしで通学する生活を始めた。

 それまで人生に2, 3回しか訪れたことがなかったので、東京は本当に刺激的だった。生まれ育った土地と違い交通網が凄まじく、関東圏なら大体の場所には電車で行けるという事実は旅が好きな僕を最高に高揚させたし、高校には都会ネイティブの洗練された子供しかいなかったので、入学して1ヶ月ほどは新しいことの連続でかなり楽しい日々を過ごしていたのを覚えている。

 

 しかし、時が過ぎてしまうといつしかその新鮮味も薄れた。小学生の頃から患っているうつ病の影響もあり、だんだんと1人の力で高校に通うのが苦しくなっていった。代わりに電車でどこか遠い土地に逃避行する日々が増えた。

 

 また、不登校に追い打ちをかけたのが、当時PS3でプレイしていた『ダークソウル2』の新作DLCが発売されたことだ。ダークソウルシリーズ特有の鬼のような難易度と、それをクリアしたときの薬物のような鋭い快感に耽溺し、夜な夜なプレイしては、朝起きられず遅刻する日々を過ごしていた。そんな生活をしていれば当然であるが、なんと、夏休みを前にして既に欠課数が留年の目安を超えてしまった。留年を宣告されてなお学校に留まるようなメンタルは持ち合わせていなかったので、夏休み明けには高校を辞めることにした。

 

 夏休みは『STEINS;GATE』を観てエモくなったり、青春18きっぷで色々な場所へ行ったりした。新潟は柏崎の青梅川駅(上の画像の場所)、群馬の両毛線沿線、などなど……。次は大学入学のタイミングで東京に戻ってこられるのかな、と思いつつも、大学へ入るための高校の単位も知識もその時点では当然なかったため、曖昧に壊れていく自分の人生に思いを馳せながら、二度と来ないかもしれない首都圏での夏休みを過ごした。

 

 そして9月末、正式に高校をやめた。副校長の先生に辞める理由を訊かれたとき、「よく分からないんですよね…」と答えたこと、それを聞いたときの先生の顔を今でも覚えている。その後家に帰るなりPCを起動して2chブラウザを開き、VIPで中退したことについてスレを立てた。あんまり伸びなかった。

 

ニート1/2年目

 高校を辞めてしまっては東京にいる大義名分が存在しないので、とりあえず地元の実家に強制送還されることとなった。 

 高校に未練はなかったが、関東圏にはめちゃくちゃ思い入れのある場所――例えば夏の晴れ渡った空の下、中央線豊田駅付近のどこまでもまっすぐ伸びる線路や、群馬は伊勢崎のさしたる特徴もない遊園地の観覧車、夕方のローカル線から望む富士山と地元の学生たち、八王子の坂と階段と電柱だらけの道――があったので、これらをしばらく訪れられないことに幾ばくかの悲しみがあった。地元にも探せばいい場所はあったはずだが、電車という足がなかったし、地元に流れる無限の閉塞感がとにかく嫌で外出することができなかった。帰ってすぐはそのような理由でエモ成分の補給に戸惑い、シュルレアリスムと称してペンギンマスクを2分ぐらい撮影してYouTubeにアップしたりしていた。

 

 実家に帰ると親に地元の高校に編入することを勧められた。今思えばそれは間違いなく正しい選択肢の提示だったが、東京から戻った直後で精神的に疲弊していた自分には、新しい環境に入っていくほどのスタミナが残っていなかった。また、曖昧に文筆で生きていきたいという思いがあり、それならば学歴は必要ではないというイキリ思想に囚われていたため、高校には編入せず中卒ニートのままやっていくことを決断した。

 

 そして、高校の代わりに自分は何を教育機関として選んだかというと、前々から兄弟に誘われていたオンラインゲーム、『ファンターシースターオンライン2』通称PSO2である。このゲームを通して自分は様々なことを学び、同時に時間をはじめとする貴重な諸々の概念を失っていくことになる。

 

 PSO2には異常なまでにハマった。弱冠15歳、ニート歴1ヶ月にして、絵に描いたようなネトゲ廃人生活——起床と同時にPCの電源をつけてPSO2を起動し、ろくに食事もとらずプレイを続け、就寝と同時にシャットダウンする日常——を過ごしてしまう始末である。

 そのようにハマり込んでしまった原因としては、ADHD特有の過集中もあるが、ニートはじめたてという環境もあった。久遠の夏やすみという突如現れた途方もない自由と、正規の人間生産ラインから降りてしまった後悔の念から、自分が何をすればいいか分からないばかりか、何かするにも気が気でないといったどうしようもない状況だったのである。しかし、このゲームはその有り余った時間と自由を無限に奪い取ってくれたし、没頭することで日々追いかけてくる焦燥感を忘れることができた。言うなれば自分を楽にしてくれる宗教と出会ったようなものだ。

 PSO2というゲームは、僕のようなニートが永遠に時間をつぎ込むことができるようおあつらえ向きに設計されていて、例えばガチ勢御用達の装備を製作するために必要な素材を集めるには、それこそトイレに行く暇をも惜しむほどの専念が要された。無限に時間を持て余す男と無限に時間を吸うゲーム、最悪の邂逅である。

 

 とはいえ、目まぐるしいゲームプレイの合間にも、レイドミッションの待機時間などちょっとした暇があり、そんなときは当時持っていたタブレットPC2chのネ実3板にあるPSO2本スレ(通称:豚箱)をそそくさと開き、「(´・ω・`)」を必ず行頭につけて書き込むというローカルルールに従い気持ち悪いレスをしたり、PSO2の運営に対する文句をぼやいたりしていた。今思うとTwitterで事足りる話だが、この頃はまだTwitterというものについて無知だった(ウェイの人が使っているSNSという認識だった)。

 

 ところで、学生というレールから外れて2ヶ月ほど経つと、既に自分の学習能力が大きく失われていることが自覚できた。

 あり得ることではないが、大脳皮質のシワシワがだんだんツルッとした平面へと変わっていく感覚があった。焦りを覚えるほどの不快感を覚えたが、だからといって、かつての学習能力を取り戻すために数学や国語のテキストに触れようとすると、次は異常な自律神経の興奮を覚え、心臓の辺りが発熱して四肢が発汗し、身体が勉強することを拒否するのである。

 この頃やっていた唯一文化的な活動といえば、たまに純文学と自称する怪文書を書き出しては、原稿用紙5枚分程度で飽きて投げたりしていたことぐらいである。たまになんJでカス以下の論戦を繰り広げたりしていたが、それは、口が裂けても文化的とは言えなかった。