Þe Hƿmanitī

The world began without knowledge, and without knowledge will it end.

自分語り 3年間のひきこもりニート #1

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序・高校1年生

 小学校を卒業した頃から曖昧に東京への憧れがある少年だったので、中高一貫だった地元の中学をドロップアウトし、高校は東京の港区にある――学校指定の制服がなく私服登校の、またスマホPCゲーム持ち込み可という、いかにも都会そうな――学校を選び、地元を大きく離れて一人暮らしで通学する生活を始めた。

 それまで人生に2, 3回しか訪れたことがなかったので、東京は本当に刺激的だった。生まれ育った土地と違い交通網が凄まじく、関東圏なら大体の場所には電車で行けるという事実は旅が好きな僕を最高に高揚させたし、高校には都会ネイティブの洗練された子供しかいなかったので、入学して1ヶ月ほどは新しいことの連続でかなり楽しい日々を過ごしていたのを覚えている。

 

 しかし、時が過ぎてしまうといつしかその新鮮味も薄れた。小学生の頃から患っているうつ病の影響もあり、だんだんと1人の力で高校に通うのが苦しくなっていった。代わりに電車でどこか遠い土地に逃避行する日々が増えた。

 

 また、不登校に追い打ちをかけたのが、当時PS3でプレイしていた『ダークソウル2』の新作DLCが発売されたことだ。ダークソウルシリーズ特有の鬼のような難易度と、それをクリアしたときの薬物のような鋭い快感に耽溺し、夜な夜なプレイしては、朝起きられず遅刻する日々を過ごしていた。そんな生活をしていれば当然であるが、なんと、夏休みを前にして既に欠課数が留年の目安を超えてしまった。留年を宣告されてなお学校に留まるようなメンタルは持ち合わせていなかったので、夏休み明けには高校を辞めることにした。

 

 夏休みは『STEINS;GATE』を観てエモくなったり、青春18きっぷで色々な場所へ行ったりした。新潟は柏崎の青梅川駅(上の画像の場所)、群馬の両毛線沿線、などなど……。次は大学入学のタイミングで東京に戻ってこられるのかな、と思いつつも、大学へ入るための高校の単位も知識もその時点では当然なかったため、曖昧に壊れていく自分の人生に思いを馳せながら、二度と来ないかもしれない首都圏での夏休みを過ごした。

 

 そして9月末、正式に高校をやめた。副校長の先生に辞める理由を訊かれたとき、「よく分からないんですよね…」と答えたこと、それを聞いたときの先生の顔を今でも覚えている。その後家に帰るなりPCを起動して2chブラウザを開き、VIPで中退したことについてスレを立てた。あんまり伸びなかった。

 

ニート1/2年目

 高校を辞めてしまっては東京にいる大義名分が存在しないので、とりあえず地元の実家に強制送還されることとなった。 

 高校に未練はなかったが、関東圏にはめちゃくちゃ思い入れのある場所――例えば夏の晴れ渡った空の下、中央線豊田駅付近のどこまでもまっすぐ伸びる線路や、群馬は伊勢崎のさしたる特徴もない遊園地の観覧車、夕方のローカル線から望む富士山と地元の学生たち、八王子の坂と階段と電柱だらけの道――があったので、これらをしばらく訪れられないことに幾ばくかの悲しみがあった。地元にも探せばいい場所はあったはずだが、電車という足がなかったし、地元に流れる無限の閉塞感がとにかく嫌で外出することができなかった。帰ってすぐはそのような理由でエモ成分の補給に戸惑い、シュルレアリスムと称してペンギンマスクを2分ぐらい撮影してYouTubeにアップしたりしていた。

 

 実家に帰ると親に地元の高校に編入することを勧められた。今思えばそれは間違いなく正しい選択肢の提示だったが、東京から戻った直後で精神的に疲弊していた自分には、新しい環境に入っていくほどのスタミナが残っていなかった。また、曖昧に文筆で生きていきたいという思いがあり、それならば学歴は必要ではないというイキリ思想に囚われていたため、高校には編入せず中卒ニートのままやっていくことを決断した。

 

 そして、高校の代わりに自分は何を教育機関として選んだかというと、前々から兄弟に誘われていたオンラインゲーム、『ファンターシースターオンライン2』通称PSO2である。このゲームを通して自分は様々なことを学び、同時に時間をはじめとする貴重な諸々の概念を失っていくことになる。

 

 PSO2には異常なまでにハマった。弱冠15歳、ニート歴1ヶ月にして、絵に描いたようなネトゲ廃人生活——起床と同時にPCの電源をつけてPSO2を起動し、ろくに食事もとらずプレイを続け、就寝と同時にシャットダウンする日常——を過ごしてしまう始末である。

 そのようにハマり込んでしまった原因としては、ADHD特有の過集中もあるが、ニートはじめたてという環境もあった。久遠の夏やすみという突如現れた途方もない自由と、正規の人間生産ラインから降りてしまった後悔の念から、自分が何をすればいいか分からないばかりか、何かするにも気が気でないといったどうしようもない状況だったのである。しかし、このゲームはその有り余った時間と自由を無限に奪い取ってくれたし、没頭することで日々追いかけてくる焦燥感を忘れることができた。言うなれば自分を楽にしてくれる宗教と出会ったようなものだ。

 PSO2というゲームは、僕のようなニートが永遠に時間をつぎ込むことができるようおあつらえ向きに設計されていて、例えばガチ勢御用達の装備を製作するために必要な素材を集めるには、それこそトイレに行く暇をも惜しむほどの専念が要された。無限に時間を持て余す男と無限に時間を吸うゲーム、最悪の邂逅である。

 

 とはいえ、目まぐるしいゲームプレイの合間にも、レイドミッションの待機時間などちょっとした暇があり、そんなときは当時持っていたタブレットPC2chのネ実3板にあるPSO2本スレ(通称:豚箱)をそそくさと開き、「(´・ω・`)」を必ず行頭につけて書き込むというローカルルールに従い気持ち悪いレスをしたり、PSO2の運営に対する文句をぼやいたりしていた。今思うとTwitterで事足りる話だが、この頃はまだTwitterというものについて無知だった(ウェイの人が使っているSNSという認識だった)。

 

 ところで、学生というレールから外れて2ヶ月ほど経つと、既に自分の学習能力が大きく失われていることが自覚できた。

 あり得ることではないが、大脳皮質のシワシワがだんだんツルッとした平面へと変わっていく感覚があった。焦りを覚えるほどの不快感を覚えたが、だからといって、かつての学習能力を取り戻すために数学や国語のテキストに触れようとすると、次は異常な自律神経の興奮を覚え、心臓の辺りが発熱して四肢が発汗し、身体が勉強することを拒否するのである。

 この頃やっていた唯一文化的な活動といえば、たまに純文学と自称する怪文書を書き出しては、原稿用紙5枚分程度で飽きて投げたりしていたことぐらいである。たまになんJでカス以下の論戦を繰り広げたりしていたが、それは、口が裂けても文化的とは言えなかった。