Þe Hƿmanitī

The world began without knowledge, and without knowledge will it end.

DMTのトリップ体験について、2017年2月、2回目後編

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前編の記事はこちら↓

sensesthetique.hatenablog.com

 

 ※このブログはフィクションであり、筆者、またはその他の人物の経験に基づくものではありません。違法薬物の摂取や市販薬・処方薬のオーバードーズは人体に甚大な影響をもたらします。当ブログは、閲覧した人物に対しいかなる薬物の摂取も推奨するものではなく、薬物の身体への影響を架空の人物の視点から語ることで、薬物の恐ろしさを啓発しようという意図のもと投稿されています。

 

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 その後、詳細はほとんど覚えていないが、かなりたくさんのものを幻覚した。情報量があまりにも多すぎて逆にひとつひとつの幻覚をほぼ記憶できていないため、もしかするとたくさんの幻覚を経た気になっただけかもしれない。本当のところは分からない。

ただ、ほんの少しは具体的に残っている記憶もあり、とりわけ、宇宙のすべてが記録されている(と勝手に思っていた)、縦にも横にもどこまで続いているのか分からないほど巨大な灰色の壁を、ふわふわと浮遊しながら見て回っていたことだけは鮮明に覚えている。

壁には無数の引き出しがついていて、その中に宇宙で起きた事象について記録している媒体が入っていた。今考えると、あれはスピリチュアルにはまった人がアカシックレコードと呼ぶものだった。

 

 話を元に戻そう。前述したように、様々なものを経験した、もしくは経験した気になったあとにふと気がつくと、自分はいつの間にかまっさらで静かな空間にいて、横にいる何者かと会話を交わしていた。

その何者かは、青く発光し、女性的な声を用いて自分と話している。どうやら幻覚体験で憔悴しきっている僕のことを励ましてくれている。後から考えると、ファンタジー世界に出てくる精霊のようである。その精霊みたいなものが放っている穏やかで涼しげな風が気持ちいい。

 そして、思い出したように身体の感覚を確認してみると、久しぶりにまともな反応が得られた。身体を横たえていて、目を瞑っていること、脱力した四肢が胴体にくっついていることが分かる。

少し経って、ゆっくり目を明くと、なにやら梵字のような未知の文字がゆらゆらと流れているし、視界が少し黄色がかっているものの、そこには紛れもなく懐かしい現実があった。

目の前の茶色いローデスク、いつの間にかスリープ状態に入っているPCのディスプレイ、座っているクッションの柔らかな感覚。現実の全てが尊いものに感じられた。横を向くと、少し遠くの棚の上から垂れ下がっている、キーホルダーの「イルカのイルカくん」と目が合い、ウインクしてくれた。多分戻ってきたことを祝ってくれているんだろう。

(余談だが、ここで気づいたことに、さっき精霊から発されていたと思っていた涼しげな風は、トリップ前につけておいたエアコンから吹いてきたものだった。近代科学万歳)

 

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 現実に戻ってきてからは、しばらくさっきまでの幻覚体験に圧倒されて、放心状態でボーッと着ている服の模様を見ていた。

ヘッドホンから聴き覚えのあるエレクトロニカが流れてきている。いつもなら心地いい旋律や展開が、今は恐ろしい瑞々しさに装飾され、自分の精神に容易に作用していた。

するどい針の先で辛うじて現実性を保っている自分は、脳内で響きわたる音楽の展開が移り変わるたびにぐらぐらと揺れ、今すぐにでも転げ落ちて無限の幻覚の中に抱かれそうになっている。

 エレクトロニカの音がこわくて仕方ないので恐る恐るヘッドホンを外した。すると、生暖かい現実の音が聞こえてくる。家族2人が隣の部屋で何か話しているようだ。話の内容はかけらも分からない。

自分も会話の輪に混ざりたいと思ったが、少しでも動けば、もしくは口を動かせば今の平穏は霞のように消えていくという確信があったので、それはできなかった。ひとりのまま、じっと耐えることしかできない。

そうだ、自分はひとりだった。あんなに近くに家族がいるのに、ひとりだ。いや、誰がいくら近くにいても関係はない。自我と生命の恒常性を保つぼくの神経系は、その恐るべき独立性をもって、今も、誰にも僕の苦しさや恐れを共有することなく孤立して、確実に存在していた。

何があっても。

結婚しようが性交しようが、どんなに人のぬくもりを感じる瞬間があろうが、その存在の孤独さには全く関係がない。生命の火は静かに燃えている。

 

 頭の中に真っ白な部屋がある。そこにぽつんとひとつのランプがあり、小さな火が灯っている。先ほどまでは風に激しく揺れ、消え入りそうになっていたが、今は穏やかに形を保って燃焼している。

自分にとってこの火は、幻覚体験の小康状態が今自分に訪れていることと、その儚さを具現化する火であり、また、この火が確かに存在することは、火が絶えないよう、この束の間の現実をできるだけ長く失わないようにと気持ちを保つための、一縷の望みでもある。

 

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 放心するままに体感時間で5分ぐらいが経ったところで、現実に戻ってきて以来鳴りを潜めていた、心の中の淋しさが再びどんどん大きくなってくるのを感じた。

少し前よりも呼吸が難しい。何かに縋りたい。現実にいても自分はひとりだけど、ここは幻覚の中よりもうちょっとは淋しくない。だからもう戻りたくなかった。

幻覚の中はとても冷えている。鉄のようにヒヤッとしていて、入り込んだ生物を死に至らしめる。でも、急速に心を占めていく淋しさに乗じて、その気配は近づいてきていた。

 

もうやめて欲しかった。まだ現実に属していたい。

淋しい。

呼吸が難しいので、呼吸のことばかり考えている。呼吸を意識していなければ、そのうち窒息して死んでしまう。

呼吸をすると、肋骨が大きく開いてそこに黄金色の安らかな流れが入り込んでくる感じがする。

ふと気がつくと世界は真っ暗だった。中心に生命の火が揺れているのが見える。こんなもの見たくない。

淋しい。

幻覚を必死に追いやって現実に戻っても、またふとするとそこに戻っている。幻覚剤の精神作用のせいで、ほんの少しの時間も同じ意思を持ち続けることは許されなかった。

何回も何回も同じ思考の連鎖を繰り返し、淋しさだけが中心を貫くように存在している。

呼吸が難しい。真っ暗な世界の中で、死が近くに存在しているのが見えた。

 

 死にたくないわけではないが、こんなことは耐えられない。我慢できずに、立ち上がって家族のいる部屋へと行き、衝動的にキッチンに立っていた母親に抱きついた。

何年ぶりの感触か分からない。ただ、心が少し暖かくなるのを感じた。

真っ暗な世界が暖かくなる。心臓の鼓動が、暗闇に淡い赤をにじませている。

拍動はいつもよりだいぶ遅くなっていた。このままどんどん脈がゆっくりになって、そのうちに止まって、死ぬんだろうか。

死を意識しても、今の自分には淋しさと感謝の気持ちしかなかった。

よく覚えていないが、自分は何度も母親に向かってありがとうと言っていた気がする。

母親は身を案じつつ、それを受け止めていたような気がする。

暖かい寂寥感が心を支配していた。

動いたことで幻覚剤が身体によりよく回ったのか、それ以上立っていることができなくなり、そのまま床に倒れた。

 

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 遠くで母親の声が聞こえる。向こうが遠ざかっているのではなく、ぼくがどんどん遠くに沈んでいる。

現実に関する感覚がだんだんと減衰する。

床の冷たさも、体を横たえている感じも、数秒が経つうちにほとんどよく分からなくなった。

暗い世界の中、ただ心臓がゆっくりと脈を打っている様子だけが分かる。

もうすぐ終わるんだろうか。

まあ、いつ終わっても仕方ないと思って生きていたし、これも仕方ない。

今までありがとう。心臓の赤さえ小さくなって、次第に闇に飲まれていた。

苦しいけど、こういうものだと思う。終わりは暗くて淋しいけど、暖かい。

走馬灯のようなものが映し出されている。ゴミみたいな17年の生も、こうやって俯瞰してみると案外悪くなかった。

自我が失われていく。もうほとんどが闇に分解されて流れていった。

 

最後のひとかけらになって、さっき考えていたことを思い出そうとしていた。

 

 

 

 

 なんだったかな…

 

 

 

 …

 

 

 

 ……

 

 

 

 ………

 

 

 

 

 ア、呼吸だ…

 

 

 

 思い出したとたん、大きく息を吸った。すると、黄金色の流れが胸腔になだれ込んできて、水面から顔を出した時のように、現実がとてつもないスピードで舞い戻ってきた。足がビリビリしていることも、いつの間にか目をつむっていたことも、母親が真上に存在していることも、手に取るようによく分かる。

息をすると気持ちがいい。自分がこんなに心地いい行為を忘れていたことにびっくりしていた。さっきも同じようにびっくりしていた気がする。

 

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 2回もバッドトリップのどん底まで突き落とされると、だんだんとその経験則から、対策のようなものが生まれはじめてきた。

自我が無くなって幻覚の奥深くに入り込んでいる時は、いつも身体を1ミリを動かさずに、呼吸を忘れ、声を出すこともなく、いつの間にか目をつむって静止していた。つまり、呼吸したり、動き回ったり、声を張り上げたりを定期的に行うよう外から圧力をかけてもらえば、どうにかトリップが終わるまでやり過ごせるはずだろう——という趣旨のものである。

ひとたび考えつくと、またすぐそれを忘れてしまわないうちに、母親へ20秒ごとに呼吸のリマインドをお願いした。

ともすれば、時間の経過でDMTの効力が薄れてきたのも味方し、幻覚世界に少しだけ落ちたり、暗闇が垣間見えることは多々あっても、その都度呼吸をしたりアーと声を出せばすぐに現実に戻ってくることができたので、深く入り込んでしまうことは無くなった。

 

 そのまま2時間ぐらいすると、精神的な影響がほとんど失われて、正常に考えたり感覚したりすることができるようになった。

 

 その2時間の間に自分は、兄弟や母親に対してかなり意味の分からないことを言っていて、たしか、どんな過去の出来事にだって今ならアクセスできる、ソクラテスにもなれる、とか言っていたような気がする。詳細はよく覚えていない。ヤク中がしばしば全能感にあふれてすごいことをしでかすのは、こういう薬の作用があってのことなんだなと後にひとり感心していた。

 

 トリップが終わると、時計は午前3時を指していた。トリップが始まったのが午後12時前だったので、それから3時間以上は経っている。次の日は私大の受験だったのですぐ床に入った。寝つきはとてもよかった。

 

 そして、6時ごろに起床すると、せいぜい3時間強しか眠らなかったにも関わらず、尋常ではない良い目覚めをした。8時間寝てもよろしくない目覚めをすることが多いのに、今日は心が透き通っている。

その明鏡止水のような心持ちは、蛇蝎のごとく嫌っている雨の日の満員電車の中でも変わることがなかった。いざ受験となってもほんの少しも揺らがない。そもそも現実の事象程度のものに心の平穏を乱すほどのものはないと、心の底から考えるようになっていたのである。

入試の休み時間には毎度瞑想をしていた。受験会場にいながら、心は常に涅槃にあるかのようだった。

 

受験は落ちた。